竹喬友の会旅日記8波切村

竹喬さんが 気に入って何度も訪れ小林和作 土田麦僊らも訪れた画家の村。

今回絵を描くため移住してこられた画家夫婦が ご案内してくださった。

志摩半島の東南。漁業場だが あまりに難所. 遠州灘と 熊野灘がぶつかるので

波が両方から切れる 波 切れ → なみきれ → なきれ→ 波切村となったと。

竹喬さんの絵灯台にもー 大王埼灯台 ?(100段)登る。300円。 あの向こうがアメリカだ。

この村は 写生にもよいが 村自体 歴史 逸話 魅力がある。案内の人たちが魅力いっぱい。

ダンダラボウシという怪物が出て荒らすので村人たちが 大きな大きなわらじを作って

こんな巨人がおるんだぞと だましておっぱらった話。 いまだに わらじ祭りを盛大にやりつづけている。

昔はクジラもとっていて解体したら おおきなおおきな石が出てきて それを鯨石と祭っている神社。

いまじゃ くじらもこないが 解体したら プラスチックが山と出てくるのだろうか

景色は さすがにいいが 石工のはなしが感激した。 昭和になって 漁業振興のため 立派な漁港を

国が10年かけて作った。防波堤の石組を ここの石工が 先頭だってやったそうで 素晴らしい仕事ぶりで

日本中から 技術を買われひくてあまてであったと。ここの家々も立派な石塀。スンぷんたがわずピタリで 石の間から

草も生えないと。どっかに 草がでていたので つい あっ!と言ったら ご案内人 あれは 遊びと かわされた。

K会長は魚屋ができるぐらい干物を買われた。日本全国 海女さんが 1200人 そのうち600人が志摩に。 海女さんの

息子がふたり 歌手になっていると 鳥羽一郎と山川豊 しらんというたら 皆に馬鹿にされた。

ここの海賊は九鬼家 関ケ原の合戦でほろんだ。と うちとこは 村上水軍 真鍋水軍だよとこっちも威張る。

九鬼というので 九鬼周造(明治時代の哲学者)の祖先?と聞いたら 海賊から 哲学者はでんと。

 

竹喬友の会旅日記⑦二見が浦

何十年も前来た時 まだまだ 寒村だったが 今は 観光地として 立派にやっておられる。

二つの岩に しめ縄をつけて ありがたがらせて うまい商売しとるわなぁと感心していたら

本居宣長が愛でている句があったので ふ~~む、 ご夫婦が ここで ご祈願したとか エピソードも

色々入れている、すなおにもっともっとありがたがらないと。良い姿を見せてもらったのだから。

夕方になった。

竹喬友の会旅日記⓺ 両参り 朝熊山 (あさまやま) 

内宮から北東 朝熊山(あさまやま)の山上へある金剛證寺(こんごうしょうじ)真言宗だが 神仏習合寺。

お伊勢さんの両参りで内宮 外宮と一体の聖地。この童子像は ここで修業中の弘法さまが 天照大神を感得 いままで

天照大神は イメージとして姿がなかったが 弘法様がイメージが必要と作った像 天照大神を表す貴重な像

頭上には 仏教を意味する五輪塔を乗せてる女神。神仏習合。

カトリックは絵画や像を 持っているがプロテスタントはない。 東西の宗教おもしろいなぁ。

 

朝熊山は天気が良いし 景色がよいので

ライダーが 一杯。 こんなところへ 連れてきてもらえる旅行なんて 感謝感謝。

 

 

竹喬の旅⑤伊勢神宮

外宮から始まって 内宮へ         二拝二拍手一拝 ちゃんと 覚えておこう・

内宮で 特別祈願している人がいた。 入口の事務所できくと 5000円だそうだ。

ハイハイどうぞと記帳されそうになったので また今度にしますと逃げた哀れな子。

神宮では お願い事はできません、ここだけでできます。というところで は~~いと はしってのぼり

さぁ写真写真。 は~~い みんなとれた といって次へ。そこで きがつく

お願い事を忘れてた。

外宮に 遷宮館があった。20年という短期間で 作り直しをする神宮。20年なら 技術も

伝えられる。ここで 日本文化 伝統文化

よく勉強できた。ぴしっとなれた。せんぐうかんは とてもよかった

Mさまが ここで もっと勉強したら 日本文化のすばらしさが わかって

アメリカなんかにあこがれることもなかったろうに。

竹喬友の会旅行④2日目 早朝散歩

どこへ行っても 早朝散歩をする。 一人では こわいので 屈強な下僕もとえ 介護士ともうひとりと。

伊勢市JR駅 ちかくのコンフォートホテルから 5時前 外宮をめざす。

もうすでにあいていて 警備の人もおられる。警護は完璧だ。地方の神社仏閣は人手がたりないので 荒らされたり

銘木が傷つけられたり 盗まれることも多々と聞く・

うっそうとした木々。真っ暗ななか 懐中電灯をもってる人たちも。

引き締まった大気の中の散歩。 これが一番良かった今回の旅。

まっくらななかぐるぐる回って道にまよう。あとで  みんなと 本式で行ったとき

ここのみちだった いや違うと けんかにならないことで喧嘩。それも 面白かった・あさ おられた?と思う警護の人に

私達朝来ましたかときいた。 お答え: 真面目な顔で 知りません。  外へ出て三人そろって ぎゃっははっ、。。。。

日の出後の 写真

噓 ← 絵ハガキから、     実は真っ黒で なんもうつってなかった、

竹喬友の会旅行③ 三重県立美術館

日本一短い都市は ツ つ 津市だ。

県庁所在地津市にある三重県立美術館。 スペインのある都市(セビリア?)と 姉妹関係を結び スペインの絵画も多い

ムリーリョという理髪師の息子の (まさしくセビリアの理髪師 !)もっとも本人は画家だけど。ムリーリョ。

無知の為しりませんが ベラスケスの同時代の人だと。   ベラスケスといえば 話がマタ飛ぶ。、プラド美術館でベラスケスの女官たちの絵の部屋にあった

十字架上のキリスト像 スペインの哲学者ウナムーナに言わすと最高傑作。

この左の絵は友好関係の証聖 カタリナ。 カタリナ像は ラファエロのが有名だが 宗教画が

好きなので この絵もいい。画家の名前はムリーリョ。何度言っても覚えられない。  ムリーリョ。。

           無理だ。      右は シャガール作 。この絵ハガキを 送った友達が

とても喜んでくれた 。シャガールはステンドグラスもして

いたと はは~~ん このきれいな色は そっかぁ!                                      左下に エッフェル塔が ありまする。

竹喬友の会 旅行②養老の滝

15人の団体旅行に 老人が参入しては 邪魔になると 躊躇していたら

若者が いつものように僕がちゃんと 介護しますから参加してください。(でないと

催行でけんのんです。)⇒ これが真実。

かならず なにからなにまで お世話します と しおらしくいうので

まず 朝4時にモーニングコールせよ。 からはじまってお姫様の様にふるまう予定。おつきの彼(下僕 介護士)のことは

また話すとして

一日目が 強行軍。笠岡から 兵庫 大阪 京都 滋賀 三重 岐阜 。バスの中で地理から 歴史 盛り沢山の 知識を

頂く。和歌もならう。小野小町も習う。→ 一生独身の 悲劇の歌人だ。

岐阜まで突っ走って →( まだまだ観光バスが少ない。)養老の滝につく。そこの 茶店で お昼ご飯 老夫婦が

よろよろと 給仕 接待してくれる。 それがまたおいしい

いま気が付いたけど 滝は山の上から落ちてくるので それを愛でるには 山へ登るつもりで。

ここともう一つ 帰りも瀧がある。それで いつもの老人参加者達がいないのだ。 ぎょっ 気が付いた。

私がダントツの最年長者であった。バスの中で それを言うと 団長が 「それでわたしは若いでしょといいたいんやろう」と 肉垂口(にくたれぐち)。 即 小野小町の心境ですっ と きってかわす。・・・・

わが身 よにふるながめしままにだ。。。。。

親孝行の息子が 滝の水を病気の父にと汲むと それが おいしいお酒になったそこの滝。名高い養老の滝。 予定

30分だが一時間以上ゆうにかかり 死ぬかと。K会長が拾ってくれた木の枝を つえにして よたよたと。

下僕のジャケットの袖をつかんで階段を上がったり 杖を引っ張ってもらって 後ろからついて行ったり、

これも修業 苦難の道。女の道は 何故険しい。

こっそり 清心丸を 口に含んでも 息絶え絶え。ここで死んだら 救急車は どうくる? そんなことばかり考えていた。

 

竹喬美術館友の会 旅行①

小野竹喬画伯は 笠岡の名誉市民で没後 美術館が出来て 優秀な学術員が赴任。友の会も結成。

画伯が絵筆をとった世界各地の場所を訪ねる旅が時々ある。 ヨーロッパ旅行は母の介護中で行かれなかったが

ここ数年連れて行ってもらっている。 今回は 三重の波切村(なきりむら)がメイン。

一日目 初っ端の(しょっぱな)の失敗。夕食をレストランで食しての

帰途。「どなたさまか スマホをおわすれで~~~す」。と イケメンが汗かきかき追ってきた。「まぁ わすれるかぁ~~

あほじゃなぁ。 だれやねん 」と また 大声をだすかぁ(わたしのこと)。。。。。。。きゃっ! おいらのであった。失敗 失敗。

そこでまた 罰当たりなことを思った。 わたし ぜったい なくならんのんよ。でてくるじゃろ。ついてんのよ。

傲慢な私はそれでも いたく反省して 一日目だったので 以後気を付けた。イケメンのおかげで 恥を覚え

何ら一切 なくしものはしなかった、本当にありがとうございました。 あとの旅 どうなることやら 桑原桑原。

jr 伊勢市駅の近辺 泊りのコンフォートホテルからあるいて10分の二富士さんありがとうございました

 

 

 

 

中根千枝さん ご冥福を

女性で初めて東大教授になった人類学者。

たて社会の人間関係が ベストセラーになった。(100万部売れた) 後年 養老先生のバカの壁が 普通の人でも読めるとベストセラ-になったが 私は 全然わからなかった。

中根先生の 易しい語り口で わたしは インドチベットに

没頭できた。遠くから仰ぎみ ずっと お慕いしている忍ぶ恋の お相手。先生のおかげで 東南アジアが大好きになった私。あのまひげがたまらんです。

辻井伸行さん演奏会

 

 

←こんな感じ 右上のスクリーンに次々に世界の名画があらわれ

左側が観客席

こういう音に こういう絵と 勉強会。 ドビッシュー←  月の光と ラベル → 水の戯れ

印象派の絵に こういう音。

一番良かったのは北斎。そしてルノアール。

贅沢な演奏会。ピアノの音色って これです。

たまたま 次の日テレビで ジュデイフォスターの王様と私を みた。

音楽の基礎は 数学だというくだり。が~~ん。やり初めて半年の 私のピアノの芽が

出そうにないのはこれだったから?

モネ