同窓会①

不思議なことだが 学年の違う同窓会に紛れ込んで今年も参加

その前に 始発で京都へ。満員のバス。 桂離宮で降りる。

バス停前の中村軒で待ち合わせ。開店準備中の和菓子屋さん。

栗は 11月でおわりどすえぇ。ということで クリクリクリのおまんじゅう3け ぜんざい(おもち大2けいり 栗大2けいり)を食す。 友人唖然としながら 付き合ってくれる。

 

青少年海外派遣全国大会⑥

宴会の盛り上げはウララ

数十人のウララの大演舞会 勢いがあって これはいい、晴れの国

岡山の表看板だ

一番いいのが

みんなを巻き込んで 楽しく踊らすところ またまた 踊り手が

男も女も 美人と 美男の集合、着物もド派手。メイクもド派手。

サイコー。

青少年海外派遣全国大会⑤

宴会では たまたま昔の生徒が 親子で参加役員。母親は 

今では 県下の英語界主役クラスの

切れ者。その彼女が 私を

うまく立ててくれる。

英語が苦手のわたしを育ててくれた

私の英語の先生ですっと。 あはは はんずかしいわ。娘は

あうと べっぴ~~~んと 呼んでくれる。目がいいのかな?

小学校四年の娘は宴会中 企業から協賛のジャムやら

お菓子など売りまくっている。 震災地への寄付集めだ。この二日間で

彼女がすっごく成長したのを 見たのもよかった。

 

青少年海外派遣全国大会④

分科会 中国地方の5つの県が 協力し合い 主催ししてくれた。

私は 鳥取県主催のの北方領土問題。知らないことばかり、己の無知が

はずかしい。

墓参のところで 涙が止まらなかった。何はともあれ 墓参だけは

続けなければならないと思う。

友人が 70年もたって ビルマに墓参に行かれた話を聞いて 涙したけど。

墓参団にロシア側は クレミアのワインを出したそうだ。うっ !

クレミアは ロシアに最近制覇されたところだ。深読みするまいと

いいあったそうだ。

中国は大きな山を何百年もかけて平地にする話を聞いたことがある。

大原さんのお話で 文化 芸術 人文科学が平和を 築くといわれた。

わたしは 日本人は 武士魂を忘れてはいけないと思う。

まず墓参を続けて 文化芸術を通して 山を平地にするその気概を

持ち続けたいと思う。消化不良で 申し訳ありません。

 

 

青少年海外派遣全国大会⑦

2日目の朝7時過ぎから 希望者のみ大原美術館借り切り勉強会

学術員のしっかり者のおねいさんが

案内してくれる。始まる前にすでに

玄関前で ロダンの カレーの市民と ヨハネのお話までしていただいて

大サービス。

大原孫三郎 児島虎次郎

大原総一郎 ピカソの絵 モネのスイレン ピサロのリンゴ園 色々なお話。

印象派裏話も 絵の見方も 昨日の大原さんのご講演と合わせて

芸術を見せていただく幸せ。

青少年海外派遣全国大会①

勝海舟などが咸臨丸に乗ってアメリカに行って100年目 普通の若者に

海外を見せようと始まった海外派遣。青年の船がその年に始まり

私は 試験を受けて 岡山県代表3人として3ケ月 東南アジアを就航した。ぎょっ

それから 50年。きゃぁ!

毎年全国大会があるが 今年は岡山。あんたは 50年間 なんも

恩返しをしていないということで 地元なのでボランテアをして はたらきますと 手を挙げた。でも こんな私だ。することは 当日の お迎え。倉敷会場なので倉敷駅で お迎え

 お迎え班の広島の

ボランテア。 えっ ? 聞くと お父上より 私のほうがまだ年上

話をしていて 私は いくつ? ひょっとして 150歳?かと思った

青少年大会でした。

青少年海外派遣全国大会②

200数十人の全国大会ともなると

衆議院議員  参議院議員 岡山県知事 倉敷市長

内閣府 文部省? なんか中央からも 一杯来られてて

皆さんのご挨拶。それが みんなみんな めっちゃめちゃ うまい。

はぁ~~~~と 感心しきった。 そして 主催者側のお若い岡山の

委員長 副委員長 事務局長が またまた 堂々うまくて

目パッチリ。もう 感心感動でした。わたしなど こんな機会なんて

全く知らない子なので 新しい世界であった。

席順 挨拶順 神経使うんだろうなぁ~~

→ 写真は 多分 相沢議員のご挨拶。

 

 

 

青少年海外派遣全国大会③

講演者は 倉敷の顔。大原さん。

妹さんは 美智子皇后様の弟様のお嫁様だ。

近江商人の 売りてよし 買い手よし 世間良しの商人魂をいわれる

わたしのあこがれは 葉隠 新渡戸稲造 執行草舟さんの  武士魂なので

あわわときた。

高野山②大石順教尼

日露戦争がすんだころ 大阪で残酷な殺人事件。

六人のうち一人だけ 両腕を切り落とされたけど 助かった17歳の

彼女。凄惨な人生を余儀なくされたのです。

家は没落  見世物小屋で 歌ったり踊ったりの辛い屈辱の生活。

あの事件の子やと見物客。

ある日 カナリアが口で子供にえさを与えているのを

見て 私もと それから刻苦。口に筆を支えて絵や文字を書く練習。

仏門に入りたいという彼女に

一度は結婚して子供も産んで普通の生活をして それから

また考えなさいと言われて 結婚し子供も育てて その傍ら

激しい努力で 芸術家にまでなられた。

障碍者をたすけ最終的には 仏門に入られた。

最後は観音様のようになられたという。

高野山で 50回忌。高野山大僧正の講話 祇園精舎のびわ

舞踊 講談ありの大きなイベント。500人の参加者は静かな感動に

浸りました。詳しいことは ホウムペイジのアルカデア29年12月号に

載せていますので 読んでください。

 

高野山

錦秋の高野山と言われる時節柄も そろそろ終わり でも紅葉狩りを堪能。

しかし 寒い。

小さなアンカが救い。 朝の勤行のつらいこと。席が 板の間で おくから

スース―かぜがはいり修行。修行。

 

私はのどが痛くて鼻水タラタラ

昨夜は 大石50回忌が終わって精進料理を堪能した後は 地元のご婦人の 弘法様生涯の紙芝居。これがよかった。いろいろなボランテアの形があるけれど

キリスト教も仏教も宗教離れが激しい昨今 こういう形のものは 素晴らしい。

高野山はなんどきてもうれしい。