忘れてた 先々月の土曜勉強会

5月の土曜勉強会の報告をしたら 4月は ?と ご質問を受けて 口あんぐり。

なんでも 忘れっぽい。

4月は 大腸がんについて 勉強会をしました。 治療中のお客様がおられ 何にも言われなかったが 大腸がんのお話をした。

食事が 欧米化しすぎて すごく増加。大腸の壁の粘膜にできる癌だが肛門近くの 直腸にできるのが多い。症状が出にくいので

検診を受けることと 出血に気を付けること。 便秘と下痢が交互とか ベンが細くなったり 残便感の違和感を 大切に意識すること

だと思う。

最近は肛門括約筋温存手術が 主流になっているとも言われている。深遠度と 遠隔転移次第だ。

 

潰瘍性大腸炎 過敏性大腸炎 ポリープ ついでに盲腸の話も出た。

予防は食事と 便秘。 和光薬品のご提案は

40歳までは ベン検査。50歳からはベン検査と内視鏡検査。 粘膜を守るためササヘルスを飲もうよといっても

だれも 買わない。( 笑い )  買わんでもいいとおもうほど 皆は 健康でおられると思うと

薬屋も 喜びたまえ、 は~~~い。

土曜勉強会

5月の勉強会は10年前20年前 死因トップの胃がんのおはなしから

1979年 オーストラリアのウオーレンとマーシャル医師の

胃の中の細菌発見の 面白いお話。

塩酸で一杯の胃に微生物と言えど生き物が住めるはずもない。 だが 胃炎の患者の胃の中に

細菌がいるではないか。 コッホの4大原則に照らし合わせて やっぱり 細菌がいる。なんで おるのか?

なんとなんと

その細菌めが 持っている ウレアーゼという酵素が アンモニアを出して強酸の胃液を中和

それなら 住めるわなぁ。 それがヘリコバスターピロリ。それをみつけた2医師。 自分たちで のんで 胃炎を作ったそうだ。

ピロリ菌の 怖さ 影響力 胃潰瘍 胃の中の腫瘍 胃がん。ピロリ菌の せいだ。 日本も 不衛生だった、そのためだった。

その時の菌保持者の私たちが  子供たちに 口移ししては あぶないのだなぁ。 子供は ピロリ菌感染しやすい。

できれば 中学生までに ピロリ菌の検査をしたほうがいいのだなぁ。

今日の出席者は精鋭9人。 こちらが はっはぁ~~である。 ピロリ菌除去で 大騒動な目にあった人。

2回しても 除去できなかった人。 簡単に 除去できて それでも 毎年胃カメラ飲んでチェックしている方。

癌の原因は まだまだ分からないけれど

子宮頸がん 肝臓がんは ウイルス説 に 。胃がんは  ピロリ菌。ならば  (もちろん ピロリ菌ばかりではないだろうが)

根絶も期待できると はなしあった。

みんなが帰った後 土橋先生の ガンの話を読んだ。 胃がんは 働き過ぎだそうだ。ふ~~む。

すべて 単純にはいかない。

 

 

 

 

 

 

休日

何がうれしいと言って 土曜日を店休日にしたこと。おかげで 土曜日は まるまる 一日自分の好きなことができる。

翌 日曜日は結構お勉強会が目白押し。

土曜日 久方ぶりに 訪問客も 電話も ない.

cd 一日中 辻井伸行さんのピアノ。

中江藤樹のお勉強。 親に孝から すべてが始まる。

はがきを5枚書く。 さぁ はがき道へ 突入だ。

ソラマメスープ。だが ヒスイのスープとまではいかなかった。 一杯 ごちゃごちゃ入れるので 味は いいが色がくすむ。

いただいた赤かぶの粉末で ボルシチ。 この季節は毎日毎日 豆ごはん、お配り。 結局 豆だけのが

一番おいしい。私ができること えんどうのさやとりと 秋は 栗の皮むぎ これ趣味。

毎日豆が来るので 店先にあるテーブルで お客さんと まめのさやとり 豆をだす。 これが 一番楽しい。 !

お客様、座って 手伝ってる。

家中お掃除。庭の草取り。チーズケーキもやく。 ぼとぼと じまんできるかなぁ ?

なんと アイロンまであてる。

ひざ痛が治らないので べべちゃんこ生活を椅子の生活にかえる。 大昔(5,60年前)の机を引っ張り出す。

なんとなく びんぼったらしい~~。風呂敷でだます。

あ~~ 優雅な一日だった。

 

新年早々 大阪を歩いていて 靴擦れ。 痛い痛い。とびこんだ小さな靴屋さん。 かっこいい かるそう。やす~~~い。

支払いを済ませたら 店主がおっしゃる。 あのなぁ 雨の日に はかんほうがええでぇ。 へっ?

実は 紙と 糸ででけてるから 溶けるんや。 えっ?

履いてみると はき心地よく 歩きやすく 快適 毎日 感謝してお世話になる靴。

今回の大阪行き。 天気予報を見もせず はいていったんでなぁ~~~~~。土砂降りになったとは。 しかも 丸一日。

辻井伸行さんのコンサート終了。 タクシー乗り場は ビルを ぐるぐる巻きするぐらいの人 人 人・

地下鉄は 地下へもぐればあると思ったのが 甘い。

いま 思っても 可笑しくて 悲しくて 滑稽で 【くつさん くつさん 頑張れ 溶けるな 】と 言い聞かせながら チャブチャブ。

帰宅後 靴をぎゅっと 絞れるのがつらい。 くにゃくにゃだけど 靴として 原形を保ってはいる。  乾かした。

又使えると 思う。感謝。ようがんばった。

加古川へ

4月に加古川から来てくださったお友達の整骨治療医

お礼も込めて 伺った。 始発で笠岡を出発 ローカルで 8時前には到着で しっかり治療をしていただいた。

寒いのと からだがひえきっているので 傷ついた左足が カチンカチンに固まってしまって

短くなって 歩けない。ほぐすようにしてくださった。気をつけるのは 中途半端で  無茶をするのは徹底的なので

なかなか なおらない。これは自分の生き方の問題であろう。反省も中途半端なので なおらん。漢方薬も

きいていたのに 飲むのを忘れている。このへんに ちゃらんぽらんな私が出る。

ご両親より 私のほうが年上なので 名前を ちゃんづけで 呼び捨てていた。ところが 患者になって

施術があまりに じょうずなので ~ おもわず せんせ~~~っと呼んでいた。先生も 私も ちょっと 照れたりして。

親切な先生のためにも ぶり返さないように。

 

 

 

 

 

 

辻井伸行さん

念願かなって辻井さんのピアノを聞きに行った。 まさに天才。 3階の 上の上の席だったが これでよく分かったことも多く

彼が体をゆする理由もわかった。 彼が指揮をしているのである。周囲からも嗚咽がこぼれる。終わって 場内が 明るくなったら

多くの人がハンカチで涙を拭いていた。ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲

チャイコフスキーの ピアノ協奏曲一番  最後は チャコフスキーの第4番。これには ピアノは ない。

辻井さんのアンコールは ドビッシュウーの月の光 → 断トツに 最高の 月の光だった。

全体のアンコールはラフマニノフの ここは美しい場所 これもよかった。 この曲以外は みな コマーシャルや なんやかんやで

きいたことあるのばかりで 聞きやすくて よかった。

チャイコフスキーの第一は 高校時代 亡父と  毎日毎日 登校前に聞いていたことを思い出した。同じ曲ばかり沈黙して

ふけっていた。わたしにもこういう 純なところがあったのだ。父とこういう思い出があったことが 思い返えされ うれしい。

これが私の音楽鑑賞の第一歩であったのか 母はうるせぇなぁと 言っていたが( 今は両親ともない) 親孝行していない自分を

反省 己の人生を反省。辻井さんの天才の努力 苦しみ 喜びも思いをはせ 深い感動に浸った。

ヒッチコック監督の ジェームスチュアート ドリス・デイの知りすぎた男で クライマックスはチンパニーの音が合図の暗殺計画だった。

えっ この曲だったけ? と だい4 の時思って心の中で遊んだが 。。。。。。。。。。。 ちがう。?

なんといっても 地獄の黙示録での ワーグナーのワルキューレ。

愛と悲しみのボレロでの ラベルのボレロが 映画の中の忘れられない名曲。

 

連休の過ごし方

4日も続けて休めるなんて お正月やすみに 匹敵のうれしいこと。ゴミ屋敷を 一掃だ、

神さんだな 仏壇の掃除  庭の草とり  エアコンのフィルター掃除  衣替え 押入れの整理 シーツの洗濯 カバー替え

ザブトンカバー替え 資料の整理 納戸の掃除

普通の主婦は これをいつもきれいにして 涼しい顔をしているのだ。そのうえ 亭主のお世話 子供のお世話

しゅうとめ舅の お世話

仕事を持っていれば それに プラスアフファー。

さすがに4日めには家事万端完了?と 断念。 お墓参りをして お寺さんのご隠居さんー。

92歳で 矍鑠の(かくしゃく)のお母上を 連れ出して 海辺をドライブ。 ランチをご一緒に。 なんと たのしい。

ご母堂をお送りした後、

恩師のお見舞い。迎えてくださる信仰心あついご家族。私の一言一言に ご家族中が 大笑いしてくださる。

こちらが慰められ こちらが 生きる勇気をいただける。

そのあと 野草酵素の調子を見に行く。横着な私は ぬかずけならぬ野草ひっくり返しを M先生に 任せっぱなしで

先生は ヒーヒー。わたしは がんばれぇと 発破かけ、 涼しい顔。野草を見に行き

気が付いたら 先生のとこで ご飯を食べている私がいた。 あ~~~~。

 

野草酵素の 残りは 袋に入れて お風呂に入れる。

楊貴妃にも まけないきれいなお肌を 信じる幸せな明日。 連休も もう終わり。