笠岡駅前🏣

日本ひろしと言えど ここの郵便局ほどあったかくて みんながみんな親切で 美男(一人) 美人ぞろいでky

楽しいところをみたことありません。

お客様に寄り添って商売っ気ぬきで 尽くしでくださる。

ローカル色満点で 地域の才能を 発掘 盛り上げもなさる。

今日行くと にっこにこして 見てと言われる。

きゃっ 姉の作品だ。

これでまた 妹の株が 落ちる落ちる。

太田市訪問記③ おわり 感無量。

雲助と言われる運転上手に ナビ役  そして 何ら役に立たない私。3人のこのグループ。旅の初めに

なにがしかのお金を一つの財布にいれて 雲助が管理していきます。2日目の朝 龍源寺の間歩 ( 銀山の公開場所 )の

出口で(管理人さんはおられませんでした ) みんなええじゃろ?と言って 雲助が 寄付箱へ入れました。 ところが 次のポイントで

その財布がないことにきずきました。

出口の寄付箱で 落としたらしい。探しましたがありません。20分後 出勤直後の出口の管理人さんに たずねたり

携帯の番号もいうて  管理人さんに 入口にも電話してもらいました。

同じころ一緒の行動をしていたのは 犬ずれの数人のグループの団体と 外国人? の 日本語の分からない男の子。

なぜ日本語が分からないかというと 坑道の中で 天井が低いところがあったので 頭 気を付けてと言いながら

私の頭をポンポンとしたら 怒り顔をしたので こりゃだめと 思ったのです。

白いジャケットを 手にかけて それでも スマホで 写真を撮っていました。

(出口に行っって 管理人さんに会う前)  坑道出口の中腹を 10分ぐらい 行ったり来たりの時

その外国人の?男の子が  とっくに出口をでていたのに また 出口辺へ 行くのを見ました。

あれ? この子は 何しているのかしら ?  彼は また ちょっとして 向きを変えて 今度は 坑道入り口の方向へ

登っていきました。 結構 距離があります。

あの子 ?

う?

現場へ 帰る ?

挙動不審 ?

もう一回 坑道へ入るかぁ?

雲助は → あなたたちのお金もなくして申し訳ない。と言い続けます。

私たちは→  三等分の損だからええじゃ。あの子かなぁ ?

そうこうしていて  又 15分ぐらいたった時 自動車がきて 財布がありましたぁと 出口の管理人さん。

え? 白いジャケット? はい。 彼が 見つけた財布を出口へ持っていったら 僕が遅刻したせいで 人がいなかったので

入口の 管理人室まで行かれたそうです。 ろうあ者の方です。さぁ入口へ行きましょう。

落ちた財布を拾われて 私たちと すれ違いながらそのまま 出口の 事務所までもっていき

人がいないので 入口まで 遠いところを又歩いて登られたのです。かれは

事務所で ろうあ者の身分証明書をだして 何を言われても すぐ去っていったそうです。

私たちは ちょっとでも疑ったことが申し訳なく 必死に ずっと 走って探しましたが この町をでるまで

どうしても見つけることができませんでした。

暗い坑道の中で 普通だったら  笑って 友達になれるのに 口がきけてたら 途中すれ違ったとき

落としましたかと 聞かれるのに    待っててくださいと入口で 言われているのに。。。。コミニュケーションが 得意では

ないために 想像もつかないご苦労があるのです。

ただただ 申し訳なく 気の毒で 涙が止まりませんでした。

私は 本当に狭い自分の世界だけしか知りません。 想像力も貧困です。

自分の不注意を棚に上げて 人を疑います。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。恥ずかしい。

胸に突き刺さりました。たくさんのことを彼から 教えていただきました。彼の幸せを 祈るしかありません。

 

 

 

 

 

 

太田市訪問記② 石見銀山

16世紀に 発見されて 17世紀には すでにヨーロッパで 良質の銀が 世界一とれてることが

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有名であった石見銀山。 70年ほど前まで 掘っていたそうだ。坑道のことを間歩といって 600ぐらいあるらしい。

龍源寺間歩が 公開されているのではじめて行った。秋芳洞などの 鍾乳洞を想像するとわかりやすい。しかし 一人が入れるほどの

狭いところで 発掘していたのだから大変な労働であったろう。400年前は 太田市は20万人もいたそうだ。今400人。

太田市の学者が 笠岡へ マスクを教えたとか酸素管をおしえたとか  姉妹都市のご縁で 教わった。唐突ですが

毛利元就は なにはともあれ 家は代々続かなければならない。 三本の矢の教えで 兄弟仲良くしろと 家は絶えてはならないと

教えてきた。 その毛利は 石見銀山を手にして 豊かであった。時は移り 関ヶ原の戦い。豊臣について毛利は 負けた 毛利輝元は

家康に石見銀山を 差し出してかろうじて お家断絶を免れた。 300年後の 長州だ。

太田市の駐車場に 西南の役の 碑。


 

太田市訪問記①

友人が 一泊準備だけして 出て来いと 急なお誘い。のこのこ出ていく私。ややや、 今回は 山陰だ。

石見銀山を有す太田市は

井戸平左衛門様に 笠岡の飢饉を救ってもらった縁で姉妹都市。しかし

世界遺産になったは  いいわ 10年後の今は ピーク時の三分の一の観光客だという 。ところが まちは 負けていない。

活気がある。たぶん 10年前 世界遺産になったときは 押すな押すなで そのあと 直ぐ来た 閑古鳥。 そこから 立ち直りの努力を

一杯されたのだろう。 私たちは ヌルガエルで だんだんだんだん 逼塞していっているので その感覚が 鈍いのだろう。

 

町全体が仲が良くて みんなで 観光客を親切に お迎えしようという気が一杯。なんでだろうか

まず 井戸平左衛門のお国だ。立派な人がおられた。  そして今も。

 

中村ブレいス  義肢装具を 日本国中だけでなく世界中の困っている人たちに作っている中村俊郎社長。 

この人が立派な人で 志が高くて技術があって 太田市を引っ張って行っている人。 町のみんなが尊敬している感じ。

この人の功績 大であろう。

つぎに 群言堂。日本中のデパートにある。ここが本店 今回は何も買わないと決心していったのに

ブラウスを 買ってしまった。 ここのご夫婦もすごい。

 

そして今は若者.

イタリアのカリア~リのコーヒーを扱っている喫茶店と,

ヒダカというドイツパンの店が がんばっている。

二つのお店がコラボして イベントを計画したりしている。ヒダカのパンをかったら コーヒー50円引きというのもあった。

4月になったら 天空の朝ご飯をと     いうのを謳っていた。ここのパンとコーヒーを 雲の上でたべるのだろう。

中村ブレイスのゲストハウスが 宿屋になっていて  ( ゆずりは )。 そこの朝ご飯も そこのパンと

コーヒーだった。 ご近所のお寺さんが ホテルマンで 英語もペラペラ 外人さんに

歴史まで説明しておられた。

本当に このお坊様が 優しくて親切であったかい人だった。お坊様の 素敵なオーラがふわ~~~~ん。

そうそう 喫茶店は縁に従う者たちの集まる場所 →  つまり 隋 縁 杜  ズイエントと改名してた。

ロゴマークは 出雲大社風だ。 ここの400人のまちは これだけでなく なかなか はいからで

イタリア人の経営するイタ飯の店もあった。

人力車は ベロタクシー。 ベロとは ラテン語で自転車。これは ドイツから買うてきた人力車なので

この名前にしたと スマートな答え。へぇ~~~。

駐車場が全部 無料。 大きなお寺以外は 皆無料。これはすごい。

観光客は減ったが 産業は いきずいている。下駄せんべいのお店もよくはやっていた。

誰もが 笠岡から来ましたと言ったら とても喜んでくださった。友達に威張った。

少々のお土産を買って歩いていたら うちの町で たくさん買ってくださってありがとう と 。

ごま豆腐の中田さん。 すこしかうのに どんなにサービスしてくれたか ゴマ豆腐 おいしかったです。

 

笠岡の商売人として物凄く反省した。 ここの人たちは 自分の町を 愛している。

みんなで わが町を盛り上げようとしている。みんながやさしい。

商店でない家も みんな いつも 花を飾っている。 溝の流れは きれいで 川はゴミ一つない。冬なのに花が 一杯。

駐車場では ボランテアの お兄さんが親切この上なく フレンドリー。行きかう車は 町民の車ですと 名札をつけていて

必ず笑顔で挨拶してくださる。

井戸神社に参拝。いい街だなぁ。 太田市大森。

あしたから 心を入れ替えて いい商売人になりたい。笠岡で 小さな店だが できる精一杯のことをやっていこう。

姉妹都市から商売人の心を 教えてもらった。一つ一つの店が 努力して力をつけて そして そのうえで

みんな仲良く ふ~~む。 まだまだだ。

 

 

仁和寺強化合宿

ちょっと前の 体験談です。

1泊二日の仁和寺強化合宿

午後から二つの講義 翌日は一つ 正座が慣れてなくて ひたすらしんどい。

講師の先生、真夜中までお話してくださる。 朝は 暗闇の中 金堂へ。

数人のお坊様が お迎えしてくれている。勤行ののちはお説教。

学生時代 宇治万福寺座禅道場へ 一週間こもった経験があるが

今回は思いのほか きつかった。寄る年波には勝てない。笑っているヒザは

ますます 笑い。 冷気の中 血圧は 見当もつかない。 金堂でひっくり返って

救急車が 来ないようにとだけ 拝んでいた。

合宿から帰って びっこひきひき歩くので 天空をとばにゃぁいけんがと 笑われる。修行は 簡単ではないですねぇ。覚悟も足りなかったなぁ。普通の合宿なのに わたしには 相当応えた(こたえた)

仁和寺で 何が悲しかったと言え 流罪の途中 菅原道真が仁和寺で 最後に

宇喜多天皇に会いたいと石の上に座って待っていたが 会ってもらえなかった話。

その石があった。昼ご飯は 湯葉丼。これが またおいしい!

講義のさわり

エンパワーメント。 自分の天分をいかしきること。

ネガテブなことをおもいつくと それが自分だと思わなくて その時の単なる気分

と追い払う努力。

頑張れ ! は 自分にかける言葉。

中に潜む自分のパワーは 自分が うまく使って 活かす。などなどなど

段々 勇気が湧き出て 楽天的になってきた。一生懸命 天分を

活かしきりたいと念じた。 これからも 頑張れと 自分に いってきかせたい。

渡り鳥が 万羽も一緒に飛んでいく。 地球の磁気に沿って行ってはいるが

リーダーがいる。 しかし リーダーでも 一羽では 飛べない。 みんなが

いるから飛べる。そのみんなは みんながリーダーになれる。このお話は

わかりやすくて面白かった。 うちのお店は たった三人だが みんなが

リーダーの意識を持っている。だから よくよく しばしば しょっちゅう

私は怒られている!

 

 

 

 

 

国際交流同窓会

今日は東京オリンピック村で 50年ぶりの同窓会。 わくわくと参加を

楽しみにしていたが この寒さで老体ガタガタ。血圧も上がりっぱなしで

膝もガタガタ。3月になって 泣く泣く決心の欠席。そんな悲しい今日。

偶然 昨秋倉敷であった岡山大会の記念写真が 今朝の

山陽新聞へ出ていたと くださった写真。 真ん中に相沢国会議員 伊原木

県知事 伊東倉敷市長 大原謙一郎さんらの お歴々。 オッたまげた。わたしも おる。よく似た表情で大いに笑っている人を あなただ貴女だと 指さす人が多いかったが その人は れっきとした男性。 女性の私が うつっていました。

厚かましく 結構ええ席に。 お笑いください。 なに? みえないって?

これならどうだ!

土曜勉強会

おいしいものは 糖質 塩分 油

健康検査の基準値が どんどん下がる怖さ。

恐ろしい世界一をもつ日本。 何が怖いと言っても 寝たきり期間世界一の現状だ。

女性が12年寝たきりなんて 。。。。。 死なせてくださいと だれに頼めるのか

飽食美食を 追いかけまい。

食べ過ぎを控えよう。 それをいうと みんなが 笑う。

そして 添加物 農薬 加工品 化学合成品 等々。

これらの許可薬品種類  使用料 世界一。

拒否できない現実。ならば 私たちが 老衰でしねるためには

まず 解毒。 デトックス。腸をきれいにするためには 便秘を 直す。緑の摂取。

筋肉を使う。睡眠。 そして 心の解毒。 心の持ち方。どうすれば 解毒できるかの

勉強会。

多くの人が来てくれて 活発な 本当に 良い勉強会だった。

Ω(オメガ) 6と  Ω(オメガ)3  Ω(おめが)9   飽和脂肪酸

一番怖いのが トランス脂肪酸。

まだ日本は 禁じられてなくて スーパーに 堂々と バター風味

というタイトルで 鎮座している。

コーヒーフレッシュ。喫茶店では たいていの店で これが出てくる。

油の取り方は バランスの問題。

自分のためにも 何回も この勉強は続けていきたいと 思いました。

いうことと することが 矛盾しがちで つい安いものを買っている私。

 

サンキュウで ござる

小さい記事を 読みました。友人のお父上の葬儀で。

いよいよお棺のふたが 閉じられようとしたとき 認知症の

お母上、つまり 亡妻なる人が 一言 【あ~~】 。 それで みんなが駆け寄って

車いすから お母上を抱きかかえて お棺のそばへ。

お母上  【サンキュウーで ござる】と言って 手を合わせられたと。

認知症であっても 母として 妻として 一家の大黒柱を送る勤めを

果たされたのでしょうか

長い人生を共に歩いて来られた夫婦の絆は 見えないけど 理解を超えたもの。

 

認知であっても輝いている。 深くて 重い。 人の死を迎えることの重さ。

その重さは遠い昔からの約束ごと。

 

今日の喜び

若い男が 手つないで っていうので うれしがって 手をつないだら 離さない。

そのまま行進して おひな祭りに直進。 ご近所さんが

保育園児の真ん中に ばあさんが喜んで歩いとるっと.

笑い転げる。

私。あんまり喜んで鼻水が 垂れた。手を握ってはなさない男の子が

気ずいて  自分の鼻汁を 手でこすって合図する。

あっ と 男先生が ぼくちゃんの はなたれを 拭いてあげる。

私 → あんた よかったなぁ せんせいに ふいてもろうて   私は ふいて

もらえんわぁ 。

僕 → 先生に おねだりの表情で 訴える。

先生 → わっはっはと 無視。

お店のお雛様を みせてあげて みんな 大満足。