太田市訪問記①

友人が 一泊準備だけして 出て来いと 急なお誘い。のこのこ出ていく私。ややや、 今回は 山陰だ。

石見銀山を有す太田市は

井戸平左衛門様に 笠岡の飢饉を救ってもらった縁で姉妹都市。しかし

世界遺産になったは  いいわ 10年後の今は ピーク時の三分の一の観光客だという 。ところが まちは 負けていない。

活気がある。たぶん 10年前 世界遺産になったときは 押すな押すなで そのあと 直ぐ来た 閑古鳥。 そこから 立ち直りの努力を

一杯されたのだろう。 私たちは ヌルガエルで だんだんだんだん 逼塞していっているので その感覚が 鈍いのだろう。

 

町全体が仲が良くて みんなで 観光客を親切に お迎えしようという気が一杯。なんでだろうか

まず 井戸平左衛門のお国だ。立派な人がおられた。  そして今も。

 

中村ブレいス  義肢装具を 日本国中だけでなく世界中の困っている人たちに作っている中村俊郎社長。 

この人が立派な人で 志が高くて技術があって 太田市を引っ張って行っている人。 町のみんなが尊敬している感じ。

この人の功績 大であろう。

つぎに 群言堂。日本中のデパートにある。ここが本店 今回は何も買わないと決心していったのに

ブラウスを 買ってしまった。 ここのご夫婦もすごい。

 

そして今は若者.

イタリアのカリア~リのコーヒーを扱っている喫茶店と,

ヒダカというドイツパンの店が がんばっている。

二つのお店がコラボして イベントを計画したりしている。ヒダカのパンをかったら コーヒー50円引きというのもあった。

4月になったら 天空の朝ご飯をと     いうのを謳っていた。ここのパンとコーヒーを 雲の上でたべるのだろう。

中村ブレイスのゲストハウスが 宿屋になっていて  ( ゆずりは )。 そこの朝ご飯も そこのパンと

コーヒーだった。 ご近所のお寺さんが ホテルマンで 英語もペラペラ 外人さんに

歴史まで説明しておられた。

本当に このお坊様が 優しくて親切であったかい人だった。お坊様の 素敵なオーラがふわ~~~~ん。

そうそう 喫茶店は縁に従う者たちの集まる場所 →  つまり 隋 縁 杜  ズイエントと改名してた。

ロゴマークは 出雲大社風だ。 ここの400人のまちは これだけでなく なかなか はいからで

イタリア人の経営するイタ飯の店もあった。

人力車は ベロタクシー。 ベロとは ラテン語で自転車。これは ドイツから買うてきた人力車なので

この名前にしたと スマートな答え。へぇ~~~。

駐車場が全部 無料。 大きなお寺以外は 皆無料。これはすごい。

観光客は減ったが 産業は いきずいている。下駄せんべいのお店もよくはやっていた。

誰もが 笠岡から来ましたと言ったら とても喜んでくださった。友達に威張った。

少々のお土産を買って歩いていたら うちの町で たくさん買ってくださってありがとう と 。

ごま豆腐の中田さん。 すこしかうのに どんなにサービスしてくれたか ゴマ豆腐 おいしかったです。

 

笠岡の商売人として物凄く反省した。 ここの人たちは 自分の町を 愛している。

みんなで わが町を盛り上げようとしている。みんながやさしい。

商店でない家も みんな いつも 花を飾っている。 溝の流れは きれいで 川はゴミ一つない。冬なのに花が 一杯。

駐車場では ボランテアの お兄さんが親切この上なく フレンドリー。行きかう車は 町民の車ですと 名札をつけていて

必ず笑顔で挨拶してくださる。

井戸神社に参拝。いい街だなぁ。 太田市大森。

あしたから 心を入れ替えて いい商売人になりたい。笠岡で 小さな店だが できる精一杯のことをやっていこう。

姉妹都市から商売人の心を 教えてもらった。一つ一つの店が 努力して力をつけて そして そのうえで

みんな仲良く ふ~~む。 まだまだだ。