31日 午後11時より 大仙様境内にて ぜんざい108杯ご接待くださるそうだ。鐘をついて 吉祥な温かい白玉ぜんざいを 召し上がって
笠岡産土 ( うびすな )の宮 笠神社へ初詣にお出かけください。 大仙様より越年のご案内がありました。
白菜に困っているので 来て頂戴ということで スタッフさやかちゃんと 行く。
お庭は笠岡諸島からの6けの石
しばるものと学習
沢山いただいて 縦に切って みんなで分ける。
金魚のえさは 人参葉ですか
と聞くと 金魚が怒って水面
まで出てきて私にパクパク
した。
家に帰って一晩中お掃除をしました。
伊勢サミットで 広島のオバマ大統領で 折り紙が大活躍。
うちのお店にも 伊勢サミットで 使われた連なり折り鶴の孫が
干支のトリと一緒にやってきた。伊勢海老まで連れて。
折り紙が苦手な私は オバマさんがおり鶴を折ったなんて聞くと
信じられない。やっぱり賢い人はできるんですね。
伊勢でコーヒーカップに 連なった鶴を折った折り紙の先生が
福山で講師をされたそうです。 うちのお客様、習いに行かれ 見ただけで 一枚の紙で 丸く連なった鶴を折られました。(手とリ足取りでなくという意味です )岸田外務大臣の奥様も習いに行かれたそうです。折り紙ができるということは数学者でもありえる賢い人で
⇔ オナガドリ
一昨日入院患者さんを 三人お見舞いした。お二人は軽いが
お一人は 明日をもという方。
幸い頭はしゃんとして 私のことも (友人のご主人)わかって
喋れた。 私があほなことばかり言って 笑いに笑って ご主人も
ジャンジャン 喋ってくださった。
毎日奥さんから電話がかかって あれを境に元気になって? ドクターは いやもう今日とか明日です とかいうんだけど
自分は4月に治るといいだして エネルギーが でてるのよ
昨日も喀血したけど 元気なんよと。あんたのおかげよと 笑ってくれる。
お見舞い後 どっとクタブれて 昨日もふらふらして 失敗ばかりしたが 奥さんの報告を聞くと 私も元気になってきた。
はっと気が付いた。これが私の仕事かもしれない。吉本新喜劇を
お店でするだけでなくて 出かけて行って あほうをしよう
笑わせて 祈ろう。これを 生き甲斐としよう。
飯田線 湯谷温泉。そこから天竜川へ向かってあるく 飯田線と川の間を沿って歩く. 木の中を歩くと気がもらえる。水辺を歩くと
増々 瑞々( みずみず )しくなりそう ?途中で足を浸しても
12月の寒さは感じられずただただいい気持ち。紅葉も 満開。
県民の森の近く。 白川村からもってきたというはず合掌。
迷い込んだ私たち。おかげで 中を案内していただく。
⇔ なんとこれが廊下です。
中は5つ星。夏は 満員だそう。お泊りのお客さん やはり 違う!!!
階段は1450段。
若山牧水が ここの鳳来寺で仏法僧を 聞いたという。私たちには 聞こえもせず みえもせずで 詩歌ができませんでした。
旅の醍醐味は 連れと出あい。
お一人は地鎮祭のため一泊だけご一緒でした
歩く辞書の彼女が消えて 大分損した気分。
お見送りで
背景にうば桜がさいていました。ご当地ではそれを四季桜というそうです。
明日から 張り切って仕事しなくっちゃぁ
設楽原決戦地へ いくのにお店に入って道を聞く
武田の残党?と見間違うばかりの若武者が出てこられ おったまげた。
最強の武田騎馬隊に対して 織田側の土塁と2重3重の馬防ぎの柵ー
馬防柵.(秀吉が作ったという。)
現場に ボランテアが馬防柵を作っていたので 歩いて歩いて
見に行く 柵は 頑丈で 高い これが当時は 延々2kmだ。
これなら武田の馬も万事休す
信長はやはり天才だと思う。
戦術の革命で500年続いた甲斐の名門武田は滅亡。
諸国の豪族が滅ぼされたり 引っ付いたり 裏切ったり 誠を尽くしたり 臥薪嘗胆 したり エピソードを聞いては 余りの壮絶な戦いに身震い 言葉少なく ただ歩いた。
あのなぁ 商売の世界も合併したり 落とされたり
うちらぁ 零細だから 消えゆくだけだけど。。。。。ほんまじゃのうという会話もありました。トホホ
スネエ門事件に先立つこと3年 1572年 信玄を迎え撃った家康は
三方原( 浜松近辺で 今回は歩けなかった )でコテンパテンニ
叩きのめされた。 あ~~
負け戦の家康が 騎乗で *ンチ して 交感神経から 副交感神経に もどれて きをとりなおして ほうほうのていで 逃げれた場所?
こんなことは 今回の資料館 博物館には何ら書いてなかったが
自律神経の勉強の時にはいつも出てくるエピソード。
この大敗が教訓で家康が天下人になれたのだと思う。
信玄亡き後 最初勝ち進んでいた息子勝頼は 自信がありすぎたのだと思う。
夢枕に立ったお告げ 老将たちの忠告も傾聴せずに
傲慢だった。 自信を持ちすぎると ろくなことがない。
慎重さをかき傲慢になる。立派な人は大概 自信がないないといって 努力を怠らない。家康も慎重の上に慎重で 重き荷物を以て坂道を登るのが