信玄塚への途中 赤くにごった池があった。そこに
首あらい 池は血色に 水濁る と掲げてあった。、むごたらしい
死者の怨念が込められているようで 不気味。
帰宅して報告すると 姉が土質のせいよと一言。あれっ~~。
戦いの一か月後 信玄塚からおびただしい蜂が出現。武田軍の
弔いが足りないのではと松明をたいて供養したらおさまった。以来
400年勇壮な火祭りが受け継がれていると。。。。。この地域の
人々の律義さに頭が下がります。あちこちに将のお墓があり花が手向かれてもいました。笠岡の白石踊りも源平のお弔いです。お弔いの気持ちを忘れてはならない。この空気が日本の文化なんですね。