竹喬友の会旅日記付録⑫

旅から帰って 竹喬さんに関する本を 取り出して読んでいる。。 学術員が 沢山研究して

沢山書いておられる。竹喬の作品ももちろん 竹喬の人間性を分析 心から尊敬しておられる

竹喬さんも笠岡の学術員も お互い良い人に当たりました。 竹喬さんを さらに広めてくれました。 そして

笠岡も。

若い学芸員を育てているのも わかりました。こんなりっぱな学術だったんだ。しばしばおちょくって

うしわけありませんでした。教えを請おう。

自然の前では虚心たれという竹喬さんの言葉。。そして 旅前にくださった資料。ありがたい。

平凡の大きさあるいは 深さに関心をもつようになった竹喬さん。平凡なもののうちに尽きない深さを求めていった

ということですね。いい旅でした。一日1万歩 3万ぽ歩いて 疲れ果てたが 精神的に 充足。感謝。

 

竹喬友の会 旅日記 ⑪赤目渓谷を忘れていた

最後の日は 赤目48滝だ。

赤目48滝心中未遂を 思い出していた。車谷長吉さんだ。

6年前 イカを詰まらせてしなれた。新聞の身の上相談の解答者で あまりに面白くて わたしもその新聞を取っていた

ここの渓谷は

養老の滝より 苦しくはなかった。ここは 一日かけて トレッキングもすればいいところだが 楽しむには

年を取りすぎている自分がいた。滝もよかったが あたりは 紅葉始まりかけで あまりに 美しくて 景色に感動しきり。

今回の旅は 海あり 山有りで 大感激。 元気で 廻れたことに感謝。

一緒にまわったY君。下僕下僕と こき使って 本当に ごめんなさい。 寡黙ながゆえに 彼の 博識 賢明さに 皆きずいていないのでしょうが よくよく 教えていただきました。穏やかで 牧歌的 瞬間湯沸かし器のわたしをいさめてくださいました。感謝 感謝。

 

竹喬友の会 旅日記⑩

旅の間の 忘れられないことの数々

① 最後のお食事。あ~~おいしかったと その時 頭上で 【やっぱり。すべて完食だぁ~。】

( はぁ? )   いつも なんか うしろで気配が っと 思っていたら K会長が

チェックに来られていたのです。ちょっと 恥ずかしい。

② 最近は どこへ行くのも登山靴。歩き易いが 脱いだりはいたりが 大変。今回は ほとんどが 履き替えのところで 泣けた。 食事の席は最後。出発は人より早めに 。。。。。

六人の歩き会 年に一回か二回。ボスがゼントルマンでいつも

不器用な私の靴係。紐をゆってくれる。今回ボスがいないので自力で せねばならなかった。

つらかった。 へたをすると 紐がほどけて ふみふみ歩く。よくしたもので 段々うまくなって 早くなった。

いつもみんなが同情半分あほかが半分、 トホホのホ。

 

 

③メンバーの一人。

不思議なご縁の人。叔母が長いこと病床だった。母の代わりに お見舞いに行っていたのか

ともかく笠岡で絵画展があり 友人の絵を見に行ったら 真知子さん?と声をかけられた。病院で叔母の治療を

してくれていた看護婦のボスの方。 種子さんのお見舞いによく来てくれていましたね。へぇ? こっちは全然覚えていないのに するど~~い。ご夫婦で 絵画展にだされていた。竹喬の旅にはご主人だけ。今回 誤報だったが

奥さんも参加ということで 楽しみだったのに 。

旅の間お世話になり 赤福もごちそうさまでした。そこでまた失敗。赤目48滝でヘトヘトで

おりてきた私に よういったねぇと 声をかけてくださった。素直にありがとうと言えばよいのに  誰に よん?

どの口がよん?と 喧嘩を吹っ掛け 品(ひん)が違うエリートの彼 皆に言っていますとあわてて謝られた。

わたしって !!1

 

④赤目滝の入り口で 立派なヤマイモを見つけ帰りに買った。そこで話が弾んで

ちっちゃいのおまけにいれときますねと頂いた。かえったら ちいさいどころか 大きいものばかりだった。

相棒の下僕もとえ介護士が またそうやってぇ ともだちになるぅとあきれ顔。そばで

県の人が アンケートを取っていて私に呼び掛けて何やかに聞く。 いくつ ?

いわんわ。どっから ? 岡山。→ へぇ~~。  よかった? → wonderful  superb  でも

渓谷への入場料とられたんでびっくり飛び上がった。先方は ははは~と大笑い。 ごめんねと。 それで わたし

なんかくれる ? 答え あげん。介護士 あんぐり。

旅日記は がたがたしていますが 1から 11まであります。 勉強になることもありますが

あほたれと 言うて来られる人もおられます 。元気になるそうですから 読んでくださいね。 あはは*****

 

 

 

 

 

竹喬友の会 旅日記 9 赤福

伊勢のお土産は ダントツに赤福。帰り道の バスサービスには どっこも

赤福があり どっこも よくよく売れている。大企業

新幹線の551も すごいが 赤福のほうが よく売れているのではないだろうか

賞味期限の短いこと。伊勢おかげ横丁で 抹茶そえ赤福を食べ またよそで

赤福ぜんざいを食べ  満喫。

 

竹喬友の会旅日記8波切村

竹喬さんが 気に入って何度も訪れ小林和作 土田麦僊らも訪れた画家の村。

今回絵を描くため移住してこられた画家夫婦が ご案内してくださった。

志摩半島の東南。漁業場だが あまりに難所. 遠州灘と 熊野灘がぶつかるので

波が両方から切れる 波 切れ → なみきれ → なきれ→ 波切村となったと。

竹喬さんの絵灯台にもー 大王埼灯台 ?(100段)登る。300円。 あの向こうがアメリカだ。

この村は 写生にもよいが 村自体 歴史 逸話 魅力がある。案内の人たちが魅力いっぱい。

ダンダラボウシという怪物が出て荒らすので村人たちが 大きな大きなわらじを作って

こんな巨人がおるんだぞと だましておっぱらった話。 いまだに わらじ祭りを盛大にやりつづけている。

昔はクジラもとっていて解体したら おおきなおおきな石が出てきて それを鯨石と祭っている神社。

いまじゃ くじらもこないが 解体したら プラスチックが山と出てくるのだろうか

景色は さすがにいいが 石工のはなしが感激した。 昭和になって 漁業振興のため 立派な漁港を

国が10年かけて作った。防波堤の石組を ここの石工が 先頭だってやったそうで 素晴らしい仕事ぶりで

日本中から 技術を買われひくてあまてであったと。ここの家々も立派な石塀。スンぷんたがわずピタリで 石の間から

草も生えないと。どっかに 草がでていたので つい あっ!と言ったら ご案内人 あれは 遊びと かわされた。

K会長は魚屋ができるぐらい干物を買われた。日本全国 海女さんが 1200人 そのうち600人が志摩に。 海女さんの

息子がふたり 歌手になっていると 鳥羽一郎と山川豊 しらんというたら 皆に馬鹿にされた。

ここの海賊は九鬼家 関ケ原の合戦でほろんだ。と うちとこは 村上水軍 真鍋水軍だよとこっちも威張る。

九鬼というので 九鬼周造(明治時代の哲学者)の祖先?と聞いたら 海賊から 哲学者はでんと。

 

竹喬友の会旅日記⑦二見が浦

何十年も前来た時 まだまだ 寒村だったが 今は 観光地として 立派にやっておられる。

二つの岩に しめ縄をつけて ありがたがらせて うまい商売しとるわなぁと感心していたら

本居宣長が愛でている句があったので ふ~~む、 ご夫婦が ここで ご祈願したとか エピソードも

色々入れている、すなおにもっともっとありがたがらないと。良い姿を見せてもらったのだから。

夕方になった。

竹喬友の会旅日記⓺ 両参り 朝熊山 (あさまやま) 

内宮から北東 朝熊山(あさまやま)の山上へある金剛證寺(こんごうしょうじ)真言宗だが 神仏習合寺。

お伊勢さんの両参りで内宮 外宮と一体の聖地。この童子像は ここで修業中の弘法さまが 天照大神を感得 いままで

天照大神は イメージとして姿がなかったが 弘法様がイメージが必要と作った像 天照大神を表す貴重な像

頭上には 仏教を意味する五輪塔を乗せてる女神。神仏習合。

カトリックは絵画や像を 持っているがプロテスタントはない。 東西の宗教おもしろいなぁ。

 

朝熊山は天気が良いし 景色がよいので

ライダーが 一杯。 こんなところへ 連れてきてもらえる旅行なんて 感謝感謝。

 

 

竹喬の旅⑤伊勢神宮

外宮から始まって 内宮へ         二拝二拍手一拝 ちゃんと 覚えておこう・

内宮で 特別祈願している人がいた。 入口の事務所できくと 5000円だそうだ。

ハイハイどうぞと記帳されそうになったので また今度にしますと逃げた哀れな子。

神宮では お願い事はできません、ここだけでできます。というところで は~~いと はしってのぼり

さぁ写真写真。 は~~い みんなとれた といって次へ。そこで きがつく

お願い事を忘れてた。

外宮に 遷宮館があった。20年という短期間で 作り直しをする神宮。20年なら 技術も

伝えられる。ここで 日本文化 伝統文化

よく勉強できた。ぴしっとなれた。せんぐうかんは とてもよかった

Mさまが ここで もっと勉強したら 日本文化のすばらしさが わかって

アメリカなんかにあこがれることもなかったろうに。

竹喬友の会旅行④2日目 早朝散歩

どこへ行っても 早朝散歩をする。 一人では こわいので 屈強な下僕もとえ 介護士ともうひとりと。

伊勢市JR駅 ちかくのコンフォートホテルから 5時前 外宮をめざす。

もうすでにあいていて 警備の人もおられる。警護は完璧だ。地方の神社仏閣は人手がたりないので 荒らされたり

銘木が傷つけられたり 盗まれることも多々と聞く・

うっそうとした木々。真っ暗ななか 懐中電灯をもってる人たちも。

引き締まった大気の中の散歩。 これが一番良かった今回の旅。

まっくらななかぐるぐる回って道にまよう。あとで  みんなと 本式で行ったとき

ここのみちだった いや違うと けんかにならないことで喧嘩。それも 面白かった・あさ おられた?と思う警護の人に

私達朝来ましたかときいた。 お答え: 真面目な顔で 知りません。  外へ出て三人そろって ぎゃっははっ、。。。。

日の出後の 写真

噓 ← 絵ハガキから、     実は真っ黒で なんもうつってなかった、

竹喬友の会旅行③ 三重県立美術館

日本一短い都市は ツ つ 津市だ。

県庁所在地津市にある三重県立美術館。 スペインのある都市(セビリア?)と 姉妹関係を結び スペインの絵画も多い

ムリーリョという理髪師の息子の (まさしくセビリアの理髪師 !)もっとも本人は画家だけど。ムリーリョ。

無知の為しりませんが ベラスケスの同時代の人だと。   ベラスケスといえば 話がマタ飛ぶ。、プラド美術館でベラスケスの女官たちの絵の部屋にあった

十字架上のキリスト像 スペインの哲学者ウナムーナに言わすと最高傑作。

この左の絵は友好関係の証聖 カタリナ。 カタリナ像は ラファエロのが有名だが 宗教画が

好きなので この絵もいい。画家の名前はムリーリョ。何度言っても覚えられない。  ムリーリョ。。

           無理だ。      右は シャガール作 。この絵ハガキを 送った友達が

とても喜んでくれた 。シャガールはステンドグラスもして

いたと はは~~ん このきれいな色は そっかぁ!                                      左下に エッフェル塔が ありまする。