スネエ門事件に先立つこと3年 1572年 信玄を迎え撃った家康は
三方原( 浜松近辺で 今回は歩けなかった )でコテンパテンニ
叩きのめされた。 あ~~
負け戦の家康が 騎乗で *ンチ して 交感神経から 副交感神経に もどれて きをとりなおして ほうほうのていで 逃げれた場所?
こんなことは 今回の資料館 博物館には何ら書いてなかったが
自律神経の勉強の時にはいつも出てくるエピソード。
この大敗が教訓で家康が天下人になれたのだと思う。
信玄亡き後 最初勝ち進んでいた息子勝頼は 自信がありすぎたのだと思う。
夢枕に立ったお告げ 老将たちの忠告も傾聴せずに
傲慢だった。 自信を持ちすぎると ろくなことがない。
慎重さをかき傲慢になる。立派な人は大概 自信がないないといって 努力を怠らない。家康も慎重の上に慎重で 重き荷物を以て坂道を登るのが