竹喬友の会 旅行②養老の滝

15人の団体旅行に 老人が参入しては 邪魔になると 躊躇していたら

若者が いつものように僕がちゃんと 介護しますから参加してください。(でないと

催行でけんのんです。)⇒ これが真実。

かならず なにからなにまで お世話します と しおらしくいうので

まず 朝4時にモーニングコールせよ。 からはじまってお姫様の様にふるまう予定。おつきの彼(下僕 介護士)のことは

また話すとして

一日目が 強行軍。笠岡から 兵庫 大阪 京都 滋賀 三重 岐阜 。バスの中で地理から 歴史 盛り沢山の 知識を

頂く。和歌もならう。小野小町も習う。→ 一生独身の 悲劇の歌人だ。

岐阜まで突っ走って →( まだまだ観光バスが少ない。)養老の滝につく。そこの 茶店で お昼ご飯 老夫婦が

よろよろと 給仕 接待してくれる。 それがまたおいしい

いま気が付いたけど 滝は山の上から落ちてくるので それを愛でるには 山へ登るつもりで。

ここともう一つ 帰りも瀧がある。それで いつもの老人参加者達がいないのだ。 ぎょっ 気が付いた。

私がダントツの最年長者であった。バスの中で それを言うと 団長が 「それでわたしは若いでしょといいたいんやろう」と 肉垂口(にくたれぐち)。 即 小野小町の心境ですっ と きってかわす。・・・・

わが身 よにふるながめしままにだ。。。。。

親孝行の息子が 滝の水を病気の父にと汲むと それが おいしいお酒になったそこの滝。名高い養老の滝。 予定

30分だが一時間以上ゆうにかかり 死ぬかと。K会長が拾ってくれた木の枝を つえにして よたよたと。

下僕のジャケットの袖をつかんで階段を上がったり 杖を引っ張ってもらって 後ろからついて行ったり、

これも修業 苦難の道。女の道は 何故険しい。

こっそり 清心丸を 口に含んでも 息絶え絶え。ここで死んだら 救急車は どうくる? そんなことばかり考えていた。

 

竹喬美術館友の会 旅行①

小野竹喬画伯は 笠岡の名誉市民で没後 美術館が出来て 優秀な学術員が赴任。友の会も結成。

画伯が絵筆をとった世界各地の場所を訪ねる旅が時々ある。 ヨーロッパ旅行は母の介護中で行かれなかったが

ここ数年連れて行ってもらっている。 今回は 三重の波切村(なきりむら)がメイン。

一日目 初っ端の(しょっぱな)の失敗。夕食をレストランで食しての

帰途。「どなたさまか スマホをおわすれで~~~す」。と イケメンが汗かきかき追ってきた。「まぁ わすれるかぁ~~

あほじゃなぁ。 だれやねん 」と また 大声をだすかぁ(わたしのこと)。。。。。。。きゃっ! おいらのであった。失敗 失敗。

そこでまた 罰当たりなことを思った。 わたし ぜったい なくならんのんよ。でてくるじゃろ。ついてんのよ。

傲慢な私はそれでも いたく反省して 一日目だったので 以後気を付けた。イケメンのおかげで 恥を覚え

何ら一切 なくしものはしなかった、本当にありがとうございました。 あとの旅 どうなることやら 桑原桑原。

jr 伊勢市駅の近辺 泊りのコンフォートホテルからあるいて10分の二富士さんありがとうございました

 

 

 

 

中根千枝さん ご冥福を

女性で初めて東大教授になった人類学者。

たて社会の人間関係が ベストセラーになった。(100万部売れた) 後年 養老先生のバカの壁が 普通の人でも読めるとベストセラ-になったが 私は 全然わからなかった。

中根先生の 易しい語り口で わたしは インドチベットに

没頭できた。遠くから仰ぎみ ずっと お慕いしている忍ぶ恋の お相手。先生のおかげで 東南アジアが大好きになった私。あのまひげがたまらんです。