大人の遠足④知覧特攻隊

特攻隊の知覧。 お昼は 隊員の心の母と慕われたとめさん食堂。

 ぼくらが がんばって戦ったら後に続く日本人が必ず

必ずやってくれるといって 突撃したというお話でメンバーの一人が申し訳ないと号泣。

→これは 隊員の遺書です。真ん中の子犬をあやしている子が18才・

あとはみんな17才。突撃直前の写真。ピュアーで 屈託ない 敬天愛人そのもの。

慎太郎がプロジュースして 岸恵子がとめさんになった映画も みた。毎晩

この本を読んで 泣きながら寝る私です。

 

大人の遠足③合同読書会

六年前から大阪中の島、大阪大学の校舎を借りての塾で (今は 耐震工事の為 毎回流浪の民で)

論語や 森信三先生の勉強を始めている。

毎回 各界の指導者のお話  どの程度の理解が

できたか 、、、、、、、順繰りで 読みとおす。これが苦痛の種。

一年に一回 感銘を受けた本の読後感を 書いたり (これも苦痛) 松阪へ

本居宣長をたずねてや 時々 高野山や 仁和寺  伊勢での合宿がある。お寺の早朝参拝もしんどい)

大人の遠足というのもあって  これは楽しい。

昨年は 松陰研究に 山口県へ。だが 老人はコロナに危険といわれて 泣く泣く断念。

今年は鹿児島。今回は  引っ込まずに 先頭きって参加。

二泊三日。20人弱のメンバー。鹿児島での夜は 御当地での勉強会の方々が 迎えて下さり

御一緒の会食となった、食事のあとは 百人一首張りのゲームもした。鹿児島の人たちはしゃきっとして

バリバリのインテリばかり。

たのしくもあり 緊張もあった。

 

 

大人の遠足②梅が枝餅

菅原道真が 失脚流された大宰府の地の名産。20年も前 福岡で勉強会が 時々あった。

帰りに上り新幹線に乗る静岡の人と必ず梅が枝餅を買って車中で食べた。いつも 楽しくしゃべくりながら

買うので 売り子のおねぇさんも 友達になった。静岡のおねぇさんが その後 脳卒中になって 勉強会に来られなくなったが 梅が枝餅の 思いでで つながっている。

今回九州出身の参加者が バスの中で 皆に配ってくれて 大感激。このお兄さんは 翌日には 西郷さんのせんべいを またバスの中で 配ってくださって 本島に本当に すみませんでした。これが 旅の一番のよろこび。

鹿児島旅行①

大人の遠足と称して歴史的なとこへ連れて行ってもらう。昨年は 老人がコロナに危ない危ないと 言われて

遠慮。年上の方が二人も参加されてたので むっ !  今年は 何があろうと参加と がんばった。

関西各地からの参加なので 博多 鹿児島空港合流で なつかしい 人が増えてくる。 20年前勉強会で

きているが今回は まず西郷さんに敬意を表して 南郷墓地。昔より ずっとよくなり 広くなっていた。線香が絶えないという。みんな西郷さん大好き。

高潔な西郷さんをしたって 多くの人が 最後まであとへつづいた。西郷さんの一生を

 小寺一清さんが編集した西郷さんの言葉という本(薄い本)をよんで 感動した。

大久保利通より 西郷さんが 明治の政治をやっていたらと

思う。敬天愛人 人を相手にせず 天と 相対していく。これが

まっ直ぐ行ける道だ。

竹喬友の会旅日記付録⑫

旅から帰って 竹喬さんに関する本を 取り出して読んでいる。。 学術員が 沢山研究して

沢山書いておられる。竹喬の作品ももちろん 竹喬の人間性を分析 心から尊敬しておられる

竹喬さんも笠岡の学術員も お互い良い人に当たりました。 竹喬さんを さらに広めてくれました。 そして

笠岡も。

若い学芸員を育てているのも わかりました。こんなりっぱな学術だったんだ。しばしばおちょくって

うしわけありませんでした。教えを請おう。

自然の前では虚心たれという竹喬さんの言葉。。そして 旅前にくださった資料。ありがたい。

平凡の大きさあるいは 深さに関心をもつようになった竹喬さん。平凡なもののうちに尽きない深さを求めていった

ということですね。いい旅でした。一日1万歩 3万ぽ歩いて 疲れ果てたが 精神的に 充足。感謝。

 

竹喬友の会 旅日記 ⑪赤目渓谷を忘れていた

最後の日は 赤目48滝だ。

赤目48滝心中未遂を 思い出していた。車谷長吉さんだ。

6年前 イカを詰まらせてしなれた。新聞の身の上相談の解答者で あまりに面白くて わたしもその新聞を取っていた

ここの渓谷は

養老の滝より 苦しくはなかった。ここは 一日かけて トレッキングもすればいいところだが 楽しむには

年を取りすぎている自分がいた。滝もよかったが あたりは 紅葉始まりかけで あまりに 美しくて 景色に感動しきり。

今回の旅は 海あり 山有りで 大感激。 元気で 廻れたことに感謝。

一緒にまわったY君。下僕下僕と こき使って 本当に ごめんなさい。 寡黙ながゆえに 彼の 博識 賢明さに 皆きずいていないのでしょうが よくよく 教えていただきました。穏やかで 牧歌的 瞬間湯沸かし器のわたしをいさめてくださいました。感謝 感謝。

 

竹喬友の会 旅日記⑩

旅の間の 忘れられないことの数々

① 最後のお食事。あ~~おいしかったと その時 頭上で 【やっぱり。すべて完食だぁ~。】

( はぁ? )   いつも なんか うしろで気配が っと 思っていたら K会長が

チェックに来られていたのです。ちょっと 恥ずかしい。

② 最近は どこへ行くのも登山靴。歩き易いが 脱いだりはいたりが 大変。今回は ほとんどが 履き替えのところで 泣けた。 食事の席は最後。出発は人より早めに 。。。。。

六人の歩き会 年に一回か二回。ボスがゼントルマンでいつも

不器用な私の靴係。紐をゆってくれる。今回ボスがいないので自力で せねばならなかった。

つらかった。 へたをすると 紐がほどけて ふみふみ歩く。よくしたもので 段々うまくなって 早くなった。

いつもみんなが同情半分あほかが半分、 トホホのホ。

 

 

③メンバーの一人。

不思議なご縁の人。叔母が長いこと病床だった。母の代わりに お見舞いに行っていたのか

ともかく笠岡で絵画展があり 友人の絵を見に行ったら 真知子さん?と声をかけられた。病院で叔母の治療を

してくれていた看護婦のボスの方。 種子さんのお見舞いによく来てくれていましたね。へぇ? こっちは全然覚えていないのに するど~~い。ご夫婦で 絵画展にだされていた。竹喬の旅にはご主人だけ。今回 誤報だったが

奥さんも参加ということで 楽しみだったのに 。

旅の間お世話になり 赤福もごちそうさまでした。そこでまた失敗。赤目48滝でヘトヘトで

おりてきた私に よういったねぇと 声をかけてくださった。素直にありがとうと言えばよいのに  誰に よん?

どの口がよん?と 喧嘩を吹っ掛け 品(ひん)が違うエリートの彼 皆に言っていますとあわてて謝られた。

わたしって !!1

 

④赤目滝の入り口で 立派なヤマイモを見つけ帰りに買った。そこで話が弾んで

ちっちゃいのおまけにいれときますねと頂いた。かえったら ちいさいどころか 大きいものばかりだった。

相棒の下僕もとえ介護士が またそうやってぇ ともだちになるぅとあきれ顔。そばで

県の人が アンケートを取っていて私に呼び掛けて何やかに聞く。 いくつ ?

いわんわ。どっから ? 岡山。→ へぇ~~。  よかった? → wonderful  superb  でも

渓谷への入場料とられたんでびっくり飛び上がった。先方は ははは~と大笑い。 ごめんねと。 それで わたし

なんかくれる ? 答え あげん。介護士 あんぐり。

旅日記は がたがたしていますが 1から 11まであります。 勉強になることもありますが

あほたれと 言うて来られる人もおられます 。元気になるそうですから 読んでくださいね。 あはは*****

 

 

 

 

 

竹喬友の会 旅日記 9 赤福

伊勢のお土産は ダントツに赤福。帰り道の バスサービスには どっこも

赤福があり どっこも よくよく売れている。大企業

新幹線の551も すごいが 赤福のほうが よく売れているのではないだろうか

賞味期限の短いこと。伊勢おかげ横丁で 抹茶そえ赤福を食べ またよそで

赤福ぜんざいを食べ  満喫。

 

竹喬友の会旅日記8波切村

竹喬さんが 気に入って何度も訪れ小林和作 土田麦僊らも訪れた画家の村。

今回絵を描くため移住してこられた画家夫婦が ご案内してくださった。

志摩半島の東南。漁業場だが あまりに難所. 遠州灘と 熊野灘がぶつかるので

波が両方から切れる 波 切れ → なみきれ → なきれ→ 波切村となったと。

竹喬さんの絵灯台にもー 大王埼灯台 ?(100段)登る。300円。 あの向こうがアメリカだ。

この村は 写生にもよいが 村自体 歴史 逸話 魅力がある。案内の人たちが魅力いっぱい。

ダンダラボウシという怪物が出て荒らすので村人たちが 大きな大きなわらじを作って

こんな巨人がおるんだぞと だましておっぱらった話。 いまだに わらじ祭りを盛大にやりつづけている。

昔はクジラもとっていて解体したら おおきなおおきな石が出てきて それを鯨石と祭っている神社。

いまじゃ くじらもこないが 解体したら プラスチックが山と出てくるのだろうか

景色は さすがにいいが 石工のはなしが感激した。 昭和になって 漁業振興のため 立派な漁港を

国が10年かけて作った。防波堤の石組を ここの石工が 先頭だってやったそうで 素晴らしい仕事ぶりで

日本中から 技術を買われひくてあまてであったと。ここの家々も立派な石塀。スンぷんたがわずピタリで 石の間から

草も生えないと。どっかに 草がでていたので つい あっ!と言ったら ご案内人 あれは 遊びと かわされた。

K会長は魚屋ができるぐらい干物を買われた。日本全国 海女さんが 1200人 そのうち600人が志摩に。 海女さんの

息子がふたり 歌手になっていると 鳥羽一郎と山川豊 しらんというたら 皆に馬鹿にされた。

ここの海賊は九鬼家 関ケ原の合戦でほろんだ。と うちとこは 村上水軍 真鍋水軍だよとこっちも威張る。

九鬼というので 九鬼周造(明治時代の哲学者)の祖先?と聞いたら 海賊から 哲学者はでんと。

 

竹喬友の会旅日記⑦二見が浦

何十年も前来た時 まだまだ 寒村だったが 今は 観光地として 立派にやっておられる。

二つの岩に しめ縄をつけて ありがたがらせて うまい商売しとるわなぁと感心していたら

本居宣長が愛でている句があったので ふ~~む、 ご夫婦が ここで ご祈願したとか エピソードも

色々入れている、すなおにもっともっとありがたがらないと。良い姿を見せてもらったのだから。

夕方になった。